鵜森神社のサイカチ
マメ科/サイカチ
かつての浜田城跡に鵜森神社があり、神社本殿の右側の城の土塁の遺構の上にサイカチが育つ。三重県内の古いサイカチは、私は当地と鳥羽小涌園植物園、神宮苗圃周囲で見たに過ぎないくらい少ない樹種であった。
この鵜森神社のサイカチは、市役所からはトゲが少ないタイプで、トゲナシサイカチと教えられたこともあった。この木は今、幹周囲282cm、樹高19mで、更に7m離れて幹周囲109cmのサイカチもある。サイカチは幹や枝に鋭いトゲがある。サイカチは鞘、実、トゲなどが漢方になり、石鹸の代用や山菜にもなったので、有用樹として神社に植えられたのではなかろうか。
浜田城址は室町時代の文明2年(1470)、俵藤太秀郷(たわらのとうだひでさと、藤原秀郷)の末えいの田原孫太郎景信の三男忠秀が築城したと伝えられる。 忠秀から三代目の信綱の時、織田信長の伊勢侵攻に遭い、天正3年(1575)、その部将瀧川一益に攻め滅ぼされている。
本堂の左側には地上2mのところで二又に伸びる太いスダジイがあり、その幹周囲は580cm、樹高は20.5mで、その太い幹にはたてにしわ状にスジが入る。
今の堂宇は300年を経ているといわれるが、このスダジイも樹齢は300年前後と思われるので、本堂再建のときに植栽された庭園樹だったかもしれない。