椋本の大椋
ニレ科/ムクノキ
この大きなムクノキから、かつての椋本村の名ができた。昭和9年には、国指定の天然記念物。 昭和63年にかつての環境庁行った「緑の国勢調査」では ムクノキの全国2位の太さで、幹周囲9.5mだったが、今計ると。幹周囲809cm、樹高16m。石柱枠の中にあり、太いしめ縄をつける。幹には多くの治療跡がある。最近、鉄製の三脚支柱がつけられた。平成2年6月2日に「新日本名木百選」になる。樹齢千年以上といわれるだけあって、この木にまつわる伝説も多い、平安時代初期の武将・坂上田村麻呂の家来・野添大膳は都を追われ、息子とともに流浪の末、この木の下で暮らしたという。源平の動乱の世には、平家の落人・花木太右衛門と酉口織口もこの大樹の傍で安住の地を得た。また、滝川一益は織田信長に従って北伊勢を攻めたが、北畠の臣・野呂民部之輔はこの大ムクにかくれて、助かったという。巨樹研究家・牧野和春はこの「椋本の大ムク」について、一本の巨樹を中心に人間の営みが展開され、歴史が生まれたと。そして、これは村の発生の一類型を示し、日本人の抱くユートピア観の投影であるかも知れないと記している。