古河の大イチョウ
イチョウ科/イチョウ
明治3年に藩制が改革され、旧藩士による軍隊は解散し、平民兵が優先して編成された。しかし、旧藩士隊は明治戊辰の役で東征し、戦功を挙げてした誇りがあった。だが、旧藩士は不遇であった。
これを不満とした彼等は集まって、建白書を大参事に提出し、藩庁の役人の辞職を勧告。ところが、この企ては失敗に終わり、旧藩士は謹慎の上、責任を取らされる事態となった。
結果、長谷部一(藤堂監物)と山下直左衛門の両名が責めを負って、自決する事件となった。世に言う「監物騒動」である。監物(けんもつ)はまだ27歳の若さであった。この切腹の場所が、彼の屋敷にあったイチョウの下だったという。新政府になって、「切腹まかりならぬ」時代であった。この騒動に県庁はウヤムヤに事を収めてしまった。
この後、このイチョウに監物の怨念だという不気味な噂が広まり、また、この木には霊魂があるといわれ、道路内ではあるが伐採されることなく、現在に到っている。
なお、「古河の大いちょう」は上記のいきさつから「監物イチョウ」ともいわれる。古くは「古河」と「建部」の境界木だといわれる。いま、津中心部から津インターに向かう道の途中で、古河ガード東にあって、樹齢400年といわれる。今、幹周囲488cm、樹高20.5m。幹にかなり腐りが入る。