長楽寺のカヤ

イチイ科/カヤ

長楽寺の前庭広場と西側の墓地との境付近に、幹周囲353cm、樹高19mの大きなカヤがある。老いた木のため幹の一部に腐りが入いる。この木には寺には珍しいしめ縄がある。このカヤの種子は約3cmで大きい。かつて、カヤの種子は重要な食糧や油原料であった。

この寺には大海人皇子にまつわる伝説がある。壬申の乱の前年の671年、大海人皇子が大津の宮で髪をおろし、吉野隠退に向かう。吉野に向う途中、神末(こうずえ 現 奈良県御杖村)で近江朝廷軍に襲われる。この時、居合わせた木こりの機転で、丸木で作っていた水槽に隠れて難を逃れる。ついで、大海人皇子は追手をあざむいて逆の伊勢に向かう。

この八知の地に来た時、空腹と疲れのため草むらの中で、倒れているところを東七という百姓に助けられ、介抱をうけ元気を取り戻す。のち、壬申の乱に勝利した大海人皇子は、天武天皇に即位するが、この助けられた論功行賞により、神末に薬師寺を贈り、八知には七堂伽藍をそなえた長楽寺を贈ったという。後、この寺は信長の兵火にあって消滅。この時の火事の焼け焦げた後遺症が、大正時代までこのカヤノキに残っていたと伝えられる。