松井孫右衛門人柱堤のケヤキ
ニレ科/ケヤキ
宮川堤公園の最上流部に松井孫右衛門人柱堤があり、延長約200mほどある。この堤防の両方の法面(のりめん)のほぼ中間部には、高木の落葉広葉樹のケヤキ、ムクノキ、エノキ、カラスザンショウの太い木が育つ。幹周囲200cmの太い木は30本はある。このうち最大の木は幹周囲560cm、樹高28mのケヤキ。堤防上の天端幅(てんばはば)は今の車走れる幅はないが、昔の人の人力ででは大工事であったと思われる。また、堤防の法面に高木を植えるのが常識だったかもしれない。かつて薩摩藩が造った木曽三川工事の油島でも千本松原が残っている。
さて、この松井孫右衛門人柱堤は、寛永10年(1633)、度重なる洪水の被害を見かねた宮川ほとりの庄屋・松井孫右衛門は、自ら人柱 となって宮川を鎮めようと思い立ち、生きながら堤防の下に埋められたという。
人々は、川の猛威から田畑や家を守ろうと何度も堤防を築いたが、洪水のたびに壊された。この庄屋が人柱となって以来、中島側の堤が決壊したことはないという。掃守社跡地には「松井孫右衛門人柱堤の碑」があり、8月25日にはその遺徳を偲ぶ命日祭が行われる。俳人・山口誓子は「孫右衛門西向き花のここ浄土」と詠んでいる。