引本幼稚園のタイサンボク

モクレン科/タイサンボク

引本幼稚園の運動場のほぼ中央には幹周囲260cm、樹高12.5m のタイサンボクの大木がある。この木は断トツでタイサンボクの県内最大の木。元は速水家の別邸の木であったが、引本小学校に隣接していたため、ここに幼稚園が計画され、土地が分譲されて、昭和53年3月に完成した。この土地の分譲に当たって、このタイサンボクを残すのが条件だった。

明治時代この地は紀北商業銀行頭取の速水熊太郎の屋敷。タイサンボクは熊太郎が東京の夜店で買った。明治12年8月、東京上野公園でグラント将軍夫人がタイサンボクを記念植樹したことが熊太郎の購入の動機であろう。これ以来この木を「グラント玉蘭」とも呼ばれる。なお将軍はローソンヒノキを記念植樹したが、後にアメリカ大統領になる人である。 

熊太郎は引本町議、県議などを歴任し、衆議院議員に第八、九回の選挙で当選。在任中の明治37年に亡くなっている。漁業の大敷網の考案や、小柄な割に太っ腹だったことは、今に語り継がれている。彼が県議だった明治34年、県立高等女学校は仮校舎で津市丸之内に創立。新校舎を同市内柳山に建設すべく、入札を行ったが応札する業者がなかった。そこで彼はにわか建築業者になり、地元で木材と大工を調達して完成させたという。県立高等女学校は明治36年7月に、新校舎に移っている。