大樹寺のスダジイ

ブナ科/スダジイ

大樹寺は報徳年間(1449-1452)に、近くにあった市場城の城主朝倉氏の請により開山し、城主の菩提寺であった。

寺には「真源大澤禅師像」という絵画の指定有形文化財があるが、真源大澤禅師とは諡号(しごう)された名で、この人はこの寺の開山に迎えられた桃隠玄朔(とういんげんさく)師で、京都の妙心寺で修行し、さらに讃岐で生活した後に大樹寺に入っている。かつては七堂伽藍を備えた禅寺であったが、天正年間の織田信長側の滝川一益の焼き討ちに遭うが、後に信者の寄進で堂宇を再建している。古く由緒ある寺だけに、県や市指定の文化財も5件ほどある。

本堂の左側には地上2mのところで二又に伸びる太いスダジイがあり、その幹周囲は580cm、樹高は20.5mで、その太い幹にはたてにしわ状にスジが入る。

今の堂宇は300年を経ているといわれるが、このスダジイも樹齢は300年前後と思われるので、本堂再建のときに植栽された庭園樹だったかもしれない。