弥栄の松
マツ科/クロマツ
日保見山八幡宮前の「弥栄(いやさか)の松」は樹齢四百年余古木といわれる。この木は幹周囲353cm、樹高11m、南北の枝張りは18m。地際には、踏圧を防ぐため、直径6mの円内部分が枠で守られ、その中はゴロタ石のマルチングが施されている。神社のうら側の堤防のむこうは伊勢の海である。クロマツは海岸地方で防風林、防潮林などの 保安林として植栽されてきた。
なお、伊勢の大湊は古い造船の歴史のある町である。大湊は伊勢湾に面し、宮川、五十鈴川の下流三角州にできた自然の良港。背後にある大台ヶ原、大杉谷には大原始林があって、スギ、ヒノキ、ケヤキなどの造船用材は宮川を筏で河口の大湊に運ばれた。
平安時代には、神宮領荘園神税米の輸送のため、諸国から神役船が大湊に入港。南北朝時代、南朝の元勲・北畠親房は、熊野水軍と連合して、船艦20余艘を建造している。文禄元年(1592)、鳥羽城主九鬼嘉隆は秀吉の大陸進攻の命を受けて兵船300余艘を建造、旗船は「鬼宿丸」は長さ33.8m、幅11.8mもあり、この船は後に「日本丸」と改名されている。寛永7年(1630)には、幕府の命により、伊能忠敬の測量船も大湊で造られた。