田丸城跡のハゼノキ
ウルシ科/ハゼノキ
田丸城跡の本丸と二の丸の間の裏側土手には、幹周囲343cm、樹高14mの巨大なハゼノキがある。かつて、誰にも知られていなかった県内最大のこのハゼノキは、平成5年の「第17回全国育樹祭」の記念誌『郷土の樹木』ではじめて紹介された。
この木について、三重大学の武田明正先生は、鳥類などによって自然に散布された種から発芽したか、あるいは、勧業に熱心だった紀州藩が植栽を勧めたハゼノキの子孫かと記した。ハゼノキは蝋(ろう)を採取するため、栽培されたものが野生化したとされる。
かつての田丸城は、東側に初瀬街道、南側に熊野街道が、神宮に入るところで合流する交通の要衝にある。この地は古くは玉丸山といって、延元元年(1336)、南朝側の北畠親房、顕信父子がこの地に砦を構えたのに始まる。永禄11年(1568)、 織田信長の伊勢侵攻では、北畠氏と和睦して、信長の二男信雄が北畠の養子になり、田丸城主となる。のち、裏切って北畠国司を滅ぼしてしまう。元和5年(1619)には和歌山藩領となり、明治維新まで続いた。明治4年(1871)城内の建物は取り払われている。昭和28年に県指定の史跡になった。